なぜ俺は「終値」だけを見るようになったのか
FX
昔の俺は、
ローソク足を全部見てた。
ヒゲの長さ
一瞬の跳ね
戻りそうな動き
反発しそうな形
それら全部を
「情報」やと思ってた。
でも結果は同じやった。
ヒゲは、判断を増やす
ヒゲを見ると、必ず考えが生まれる。
- 一瞬割れただけかもしれん
- ここは耐えてるとも言える
- 反発する可能性もある
この時点で、
判断が入り込む余地ができてる。
判断が入り込むと、
感情が入る。
感情が入ると、
終わらせ方が歪む。
終値だけを見ると、何が変わったか
ある時から、
見るものを一つに絞った。
終値だけ。
- 確定した事実だけ
- その時間が終わった結果だけ
ヒゲは全部、切り捨てた。
最初は不安やった。
「一瞬割れたのに大丈夫なんか」
「早く逃げた方がいいんちゃうか」
でもな、
終値だけを見ると分かった。
終値は、言い訳を許さない
終値は残酷や。
- 割れてないなら、割れてない
- 割れたなら、割れた
そこに
「かもしれない」は存在しない。
だから
判断が入り込む余地がない。
確定足しか見ない理由
途中の足を見ると、
- 期待が生まれる
- 恐怖が生まれる
- 触りたくなる
確定足だけを見ると、
- 事実だけが残る
- 処理だけが残る
トレードが
感情から切り離される。
ヒゲを捨てた理由
ヒゲは悪くない。
相場としては、意味がある。
でも
判断を排除したい構造には向いてなかった。
ヒゲを見る限り、
人は考えてしまう。
考えた時点で、
もう構造は崩れてる。
俺が固定したのは、視点だけ
数値を固定したわけじゃない。
値幅を固定したわけでもない。
固定したのは、
**「何を見るか」**だけ。
- 終値
- 確定足
- 崩れたか、崩れてないか
それだけ。
――――――――――
次回予告(第26話)
この視点を組み合わせていくと、
ひとつの「終わらせ方の構造」が見えてくる。
それは、勝つための仕組みじゃない。
壊れないための設計や。
終値主義は、楽になるためじゃない
よく誤解されるけどな。
終値だけを見るのは
楽をするためじゃない。
判断を排除するため。
ここが一番大事や。
――――――――――
次回予告(第26話)
この視点を組み合わせていくと、
ひとつの「終わらせ方の構造」が見えてくる。
それは、勝つための仕組みじゃない。
壊れないための設計や。
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