なぜ「終値確定」じゃないと、構造にならなかったのか
FX
判断を消したい。
それが一番の目的やった。
でも、
「判断をしないようにする」
だけでは足りなかった。
なぜなら、
**判断は“意識してなくても入り込む”**からや。
途中の足を見ていると、
人は必ず考える。
- もう少しで戻るかもしれない
- ここは耐えてもいいんじゃないか
- さっきの動きはフェイクかもしれない
考えた瞬間、
もう構造は崩れている。
だから必要やったのは、
「判断しない努力」じゃない。
**判断が入り込めない“タイミング”**やった。
終値は、
もう終わった時間の結果や。
そこには
- 期待も
- 恐怖も
- もしも、も
存在しない。
あるのはただ一つ。
「この時間は、こう終わった」
という事実だけ。
途中を見ている限り、
人は未来を想像してしまう。
でも、
終わったものには未来がない。
だから終値は、
判断を許さない。
「まだ動くかもしれない」
は存在しない。
「一瞬割っただけ」
も存在しない。
割れていなければ割れていない。
割れていれば割れている。
それだけや。
この時、初めて分かった。
終値主義は
楽をするための考え方じゃない。
**判断を排除するための“構造要件”**やったんやと。
判断を消したいなら、
- 見る対象
- 見るタイミング
- 決める基準
全部を
「人が考えられない形」にするしかない。
終値確定は、
その最後のピースやった。
俺は、
判断を我慢したんじゃない。
判断が
入り込めない場所に立っただけや。
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次回(第27話)
判断を排除すると、
「終わり方」を自分で決める必要がなくなる。
そこで初めて、
“守る”という発想が生まれた。
なぜ
「伸ばす」じゃなく
「守る」やったのか。
次は、
その話をする。
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