アルゴリズムトレードが市場に現れる
1992年からすでに始まっていたGlobexという24時間取引(実際には23時間)は出発からしばらくの間はあまり成功していなかったように感じます。在日本の国内外証券会社や銀行が取引用の端末を導入したけれども使い物にならないという声を当時の顧客から聞かされていたからなのかもしれませんが、なにしろ出来高が少なく日本時間の夜中であったり、海外にとっての夜中のトレードだったりは一向に振るわず、Open Outcryという場立ちの取引時間帯がしばらくは中心でした。これは何よりも現在は当たり前になっている電子取引という取引形態が一般顧客に普及していなかったからだと考えられます。電子取引による時代が最初はブローカー経由、そしてのちに取引所直接発注の形式が一般化するまでは相変わらず一般顧客にとって発注は電話やファックスを使って行われていました。
1993年にテクニカル分析とリアルタイムチャート、そして95年からシステム売買とリアルタイムチャートという世界に接していた私にとっては「次に来るもの」がそこまできていると感じていました。システム売買をするならシグナルが発生した時点で発注を行えないのはそのリアルタイム性からすると「役に立たない」ものに近かったからです。「テクニカル分析なんて確率変数以外の何者でもないよ」という声を上げていた人たちが「テクニカル」を重宝し、次に来ていたシステム売買について「同じことなんて起こらないよ」という声を上げているのを目の前で見てきたからです。つまり、「コンピュータが見張っている取引なんて」という声は確実に時代を席巻していったのです。2006年にシカゴの先物業界のショーで開催されるパーティーに参加した時、90年代から取引所では有名なトレーダー達が話していたのは「すでにアルゴリズムは死んでしまった」という事でした。彼らが言うには発注の動きを設定しているアルゴリズムが感知すると時を待たずして作動するシステムが玉をすくい取っていく事の応酬になっているので大掛かりな仕組みを持ったものが勝ちだという話でした。つまり自分たちの思惑としてのアルゴは別なところに行ってしまったの?
そして現在はその先の技術だと言われているAIがアルゴリズムを学習してしまえば、自己学習能力を発揮させてそれをさらっていくという構図になっていくそうです。AIはもっと前から存在していて、その当時は自己学習能力まではもっていない世代の仕組みが華々しい活躍はせずに、一部でその能力を発揮していましたが、次世代AIはさらにその先を行くということだそうです。そうなると金融市場は自分自身で首を絞めてしまうのではないだろうか、シカゴで10年前に聞かされた「アルゴは死んだ」が「金融は死んだ」になってしまうのではないのかと思ってしまうのですが、抜け道は必ずあるはずなのです。当時の抜け道で見た事のあるものは、一般の作るシステム売買の中で一部、見事にアルゴリズムの網をかいくぐって取っていく手法というものもありました。まずそこに戻ってみるところから始めてはいかがでしょうか。
(次回、取引所取引を広げてくれたアメリカ金融)
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