金融を身近なものにしてくれたアメリカ取引所
すでに古きよき時代という感もあるのですが、20世紀末の米国先物取引所は行くととても楽しかったという記憶があります。ジャンボジェットが格納できてしまうような大きな取引所ピットでは至る所で取引が、人々の手によって行われていました。見学ツアーに参加すればしたで、喧騒のピットを眼下に見下ろせる場所を通れましたし、取引所の関係者が一人いれば、取引をしているピットの真横を通ることも可能でした。現在は、CMEに行っても、ほとんどが電子取引をしているのでサーバーが並んでいる姿しか見ることが出来ないのですが、ほんの一部、金融オプションのトレードだけは今でもピットで人が集まり、時間になれば鐘が鳴らされ、そのタイミングから一際大きな喧騒が流れてきます。
日本で取引が大きくならなかった理由はまさにここにあるのではないかと感じています。簡単に言えば、取引所で取引される情報は広く一般に(比較的)低価格で提供され、様々なメディアを通してみることが可能でした。データベンダーという世界から見れば、取引所データ利用料金という価格にそれは反映されていました。世界で最も高額な情報として長いことロンドン証券取引所データが君臨していましたが、ある日を境にあっさりその座を明け渡します。この価格の高額な事には世界で驚かれ、扱う側としてはビジネスモデルが総崩れしてしまうような価格設定でした。自分のところのデータを使って取引してください、場は提供しますので、というスタンスが世界では一般的だったのです。ところが電子取引が取引の中心になってくると、その取引情報自身が価値を持ち、一人歩きを始めます。今までは低価格で利用することができた米国先物データもある時期を境に、ライセンス料や利用料をしっかり取るようになり、利用者ですら、料金が課金されるようになりました。
前回紹介したシカゴで年に一度行われる業界のショーに展示ブースを持つ人たちの流れも、以前は世界的な銀行が最大でしたが、徐々に世界的に大きなブローカーが大きくなり、現在では取引所と、その取引を扱うプラットフォームベンダーや、インフラを扱う会社が中心的存在となっています。大きくなって別の世界に行ったのが、為替を扱う業者や、それらのデリバティブズを学習するための教育機関、書籍発行機関などです。世界から様々な業者が集まるイベントだったものがいつの間にか、小さな世界の集まりに変わってしまった感じがしました。今回見つけたのでそのショーで行われるCMEのパーティーの写真を載せておきます。見つけたらまたもっと古い写真が出てくるかもしれません。
電子取引が当たり前の世界になり、一般客が証券会社を経由しながらも取引所に直接発注を行える世界において、取引所にできる事は、いかに魅力的な商品を開発し、様々な垣根をはずしてあげる事により、多くの人が自由に取引のできる環境を模索していく以外には、これ以上の発展は見込めないのかもしれません。だからこそ、Bitcoinのような「新たな通貨」が生まれてきたのかなと感じます。(次回、スクリーニングとシステムトレード)
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