第3章【前編】:血迷った右手と、自作への決意
一、外注EAの成功と、芽生えた「慢心」
2020年、春。
クラウドソーシングで知り合ったMQLプログラマーに仕様書を渡し、初めてカタチになった私の第一号EA『日足職人』。 MT4のチャート上で、小さなニコちゃんマークが微笑みながら完全自動で指値注文を繰り出し、利益を積み上げていく光景は、私に大きな感動を与えてくれた。
毎朝7時に起きて手動で注文を計算する手間から解放され、会社員の営業として日中の外回り中も、システムが裏で粛々と稼働してくれる。 1か月でプラス6万円、2か月でプラス8万円。 「自分が働いていない間も、プログラミングされた仕組みがお金を生み出してくれる」という体験は、兼業投資家としての私に強烈な成功体験を植え付けた。
だが、その成功体験は、やがて恐ろしい「慢心」へと姿を変えていったのだ。
「なんだ、自動売買(EA)って実はめちゃくちゃ簡単じゃないか」
営業車のハンドルを握りながら、私はニヤリと口角を上げた。 「自分の手法をプログラマーに渡して勝てた。なら、世の中で『実績十分』と評価されている市販の優秀なEAを何本も購入してポートフォリオを組めば、毎月の利益が一気に何十万円にも跳ね上がるんじゃないか?」
口座残高が増えたことで、かつて15万円の爆損でボーナスを溶かした激痛は薄れ、私の中の「欲望」が再び鎌首をもたげ始めていた。
二、優秀な市販EAたちと、志を貫けない「私自身の弱さ」
その日から、私はゴゴジャンや投資コミュニティで高評価を得ている市販EAを本格的に導入し始めた。
「長期フォワード実績が抜群のスキャルピングEA」
「相場の波を的確に捉えるレンジトレードEA」
「緻密な計算で作られたアノマリーEA」
どれも開発者の方々が膨大な検証を重ね、実績に裏打ちされた素晴らしいシステムばかりだった。 実際に動かし始めると、朝起きるたびに数百円、数千円と着実に利益が積み上がっていく。
「やっぱりプロの開発者が作ったシステムは完成度が違うな」
最初はそう感銘を受けていた。 だが、運用を続けて相場が一時的な逆行を見せたとき、私自身の「心の脆さ」が露呈し始めたのだ。
ある日の昼休み、営業車の中でスマホのMT4を開いたときだった。 相場が突発的なトレンドを描き、稼働させていたEAがポジションを複数抱えて含み損が数万円に膨らんでいた。
頭では分かっていた。 「このEAは過去のバックテストでも、この程度のドローダウンを耐えてから反転して利益を出す設計になっているはずだ。開発者の推奨ルール通り、一切触らずにシステムに任せるべきだ」
しかし、画面上で明滅する赤字の数字を見つめているうちに、胸の奥から冷たい恐怖がせり上がってきた。
(もし……もし、このまま過去の最大ドローダウンを突き破って口座が破綻したらどうしよう……?)
夏のボーナスを吹き飛ばしたあの夜のトラウマが、フラッシュバックのように脳裏をよぎる。 「ルールを信じて静かに見守る」という、トレーダーとして当たり前の志が、恐怖の前に音を立てて崩れていく。
「ダメだ……! ここで切れば、まだ被害は小さくて済む……!」
耐えきれなくなった私は、EAの自動売買ボタンを自らの手でオフにし、抱えていたポジションを手動で一括損切りしてしまった。
そして、そのわずか数十分後。 相場は教科書通りに綺麗に反転し、もし放置していれば何事もなく利確ラインに到達していたはずの位置へ戻っていったのだ。
「……またやってしまった」
ステアリングに額を押し当て、私は激しい自己嫌悪に苛まれた。
システムが悪いのではない。EAは何一つ間違った挙動をしていなかった。 悪いのはすべて、「決めたルールを最後まで信じ抜くことができない、自分自身の意志の弱さ」だった。
どれほど他人が作った優れたシステムを手に入れようと、中身がブラックボックスである以上、相場の荒波に直面した時に恐怖に耐えられない。 『自分が設計し、どの局面でどう動くのかを1から100まで知り尽くしたシステムでなければ、俺はこの恐怖から一生逃れられない』 己の弱さを骨身に染みて思い知った瞬間だった。
三、魔の二月 — 「自分がやった方が早い」という悪魔の囁き —
だが、他人のEAへの恐怖を痛感しながらも、当時の私はもう一つの致命的な罠を抱えていた。 それは、過去の勉強で得た「中途半端な知識」への過信だった。
「他人のシステムだから信じ切れないんだ。でも、今の俺には数年間のテクニカル分析の知識がある。日足の環境認識も身についた。 それなら、EAの小さな利益を待つよりも、チャンスの時だけ自分自身で手動スキャルピングを叩き込んだ方が、圧倒的に速く資金を増やせるんじゃないか?」
悪魔の囁きは、いつも優しく、そして親しげに近づいてくる。
「手動で入って、サクッと+10pip抜いて勝ち逃げするだけだ。昔と違って今の俺はチャートが見えているから大丈夫だ」
自分を「意志の強いトレーダー」だと勘違いしたい浅ましいプライド。 それが、絶対に触れてはならない「右手人差し指クリックボタン」を再び解禁させてしまったのだ。
忘れもしない、2021年2月中旬の夜。
その日は、世界中が注目する重要なアメリカの経済指標発表が控えていた。 チャート上では、ドル円が激しい乱高下を繰り返し、ローソク足が暴風雨のように跳ね上がっていた。
画面の向こうで踊る緑と赤の波を見つめながら、私はマウスを強く握りしめた。
「上がった……! ここは短期的な過熱感が出すぎている! 反転を狙ってショートだ!」
ポチッ。
自分の右指で、成行売りのボタンを押した。 それが、我が人生最大のトラウマとなる『魔の86万円ロスカット事件』の、惨劇の幕開けだった……