世界のレジェンドたちとの出会い
この仕事を始めた頃、右も左もわからなかったので、仕事として与えられた、「先物市場のテクニカル分析」ジョンJ.マーフィー著書を読んで、また製品のマニュアルを読むしか勉強方法がありませんでした。しかしすぐに顧客を訪問するうちにディーリングルームに座らされてその場で使い方や相場というものを学ばせてもらい「門前の小僧習わぬ経を読む」事となりました。1994年にトレーニングの出張にシカゴに初めて訪れた時にCME、そしてCBOTのトレードフロアのツアーもできました。現在はすでに中に入れないのですが、その当時はフロア経験者や関係者に連れて行ってもらえばPit(立ち合いをしているエリア)の外側なら通ることもできました。
1996年にやはりシカゴに代理店販売者の会合に行った時、Futures
Industrial Associationの年次EXPOを歩いているとOMEGAのブースを訪問した時に国際マーケティング担当責任者の女性に初めて会いました。彼女はブースに来ていたThomas R. DeMark、そして、EasyLanguageを作ったSamuel K. Tennisを私に紹介してくれました。DeMark氏は日本で自分の著書と分析シリーズのビデオの販売をしてくれないかと言っていましたが、当時の日本でそれらをどうやって翻訳するのか、どう販売すればいいのかわからない私は、言葉を濁していました。Samuel Kはでかいオウムを連れていました。自分の本をやるからわからないことがあればメールしてくれと会話しただけでした。
やはり1996年に日本で、私がテクニカル分析を教わった先生からの電話で突如Larry Williamsのセミナーを手伝う事となり、その当時同業他社筆頭の会社のセミナーの翌日のセミナーを担当しました。Larryは私が何を販売しているかを知りませんでした。最初は終値データだけがあればいいと連絡を受けていたのですが、事前準備の際、TradeStationをリアルタイムで利用できる環境があるのを見て、突然「だったらこのチャートをこう表示しろ」とかこのインジケータを表示させろ」とあれこれと指示が飛んできました。
以降、この仕事をしていて日本人でも有名になった人や、多くの現在ではレジェンドと呼ばれるような方々と接してきました。未だに有名であり続ける人、消えてしまう人と様々ですが、一つだけわかる事があります。それは、レジェンドと呼ばれる人たちは、高いセミナーをやったり本を出したりもするのですが、一様に、「今自分が何をやっているか」を知ってもらいたいからのセミナーであり出版である事です。すべてをそこに詰め込む事は出来ないでしょうけど、そこに他意はなく、純粋に自分のやっていることを通して、見てくれる人に知ってほしいという気持ちであり、決して騙して収入しようというものではありません。そこがこの方々がレジェンドと呼ばれる理由でありそうでない人は居なくなる人の様です。
(次回、レジェンドから学ぶプロの姿勢を垣間見る)
よろしいですか?