相場人為論
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連載「トレード哲学」……13
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ゴルフ場にいるカラスは、バッグのファスナーを開けて、中のチョコレートやアメを盗んでいきます。ある時、やめさせようということになり、タバスコやとうがらし入りのおにぎりを仕掛けたのですが、あっさりと見破られました。カラスのほうが賢かったなんて結論はつらすぎるので、「なんでも、意図した通りに動いてくれるものではないんだ」としておいてください。
価格を絶対視するのが「相場神聖論」。
理論通り、不特定多数の参加者によって合理的な価格形成が行われる、市場の価格は、ある意味、神聖なものという思想です。
この対岸にあるのが「相場人為論」です。
この人為論も、捉え方によって細かく分類されるのでしょうが、
『価格は、一部の参加者によって意図的につくられる』
と考えるわけです。
価格の観察において、証券会社の営業政策や、大資本の都合を考えるのです。
例えば、仕手が大衆を意のままに動かそうとの目的で、「チャートの形をつくるべく売買している」とか、そういったことに目を向けます。
「ユダヤ系の資本家がすべてを牛耳っている」といった発想もあります。
神聖論をベースにする投資家は、価格動向と自らの行動に意識を集中させますが、人為的な価格形成がゼロだと考えるわけではありません。
人為論だって、教科書通りの価格形成を真っ向から否定するものではないでしょう。
どちらに主軸を置くかという問題であり、人によって異なった入り混じり方をするのですが、器用に使い分けようとすると、かえって混乱します。
あなたは、「市場の価格」をどのように捉えていますか?
こんなことを考えてみるのも、行動に“厚み”をつくる作業ではないかと思います。
よろしいですか?